
今回の「なにわ道中」では浅草の夜景を紹介します。



浅草は人気の観光地!お昼は食べ歩き、夜は夜景を楽しもう。
浅草の歴史
- 628年(飛鳥時代): 隅田川で漁をしていた兄の檜前浜成(ひのくまはまなり)と弟の竹成(たけなり)が観音像を見つけて、草ぶきのお堂に祀ったことが始まりです。
- 平安時代:平公雅(たいらのきみまさ)が広大な境内を創建しました。
- 江戸時代: 徳川の家康が江戸を首都に制定し、浅草は商業と文化の中心地として発展。浅草寺が将軍家の庇護を受け、多くの参拝客が訪れるようになりました。この頃から浅草寺の参道で商業が発展し、仲見世が誕生しました。
- 1657年: 明暦の大火後、吉原遊廓や歌舞伎街が浅草に移転。浅草は歓楽街としても栄えました。
- 数世紀にわたる火事や第二次世界大戦中による破壊にもかかわらず、浅草は立ち直ってきました。
- 浅草寺は現在年間約3,000万人の参拝客が訪れ、三社祭や酉の市などの有名な祭が開催されます。
- 現代: 浅草は観光地として国内外から多くの観光客が訪れます。浅草寺、仲見世通り、スカイツリーなどが人気スポットで、いつも賑が耐えません。



浅草とスカイツリーは頑張れば歩ける距離です。道中も魅力的なお店があり、おすすめです。
浅草夜景
雷門
正式名称は「風雷神門」(ふうらいじんもん)
大提灯の表側は「雷門」とありますが、裏側には「風雷神門」と書かれています。


大提灯の左右に立ち並ぶは、右に「風神」左に「雷神」




雷門の裏側に並ぶは右に「金龍」左に「天龍」







2つの像は龍神様。浅草寺を護る神様とのことで、金龍は女性の姿、天龍は男性の姿です。
仲見世通り









昼はお店と参拝客で賑わう仲見世通りだけど、夜はシャッターが閉まり、独特の雰囲気があるね。
仲見世通りと交差する伝法院通りにも、お土産や食事処があります。そこには、歌舞伎の演目で人気のある白浪五人男の人形が設置されています。
- 日本駄右衛門(にっぽんだえもん) – 五人男のリーダー
- 弁天小僧菊之助(べんてんこぞう きくのすけ) – 美男子で女装が得意(写真右)
- 忠信利平(ただのぶ りへい) – 神出鬼没の盗賊
- 赤星十三郎(あかぼし じゅうざぶろう) – 最年少の盗賊(写真中央)
- 南郷力丸(なんごう りきまる) – 漁師の息子の船強盗
宝蔵門(ほうぞうもん)












宝蔵門は浅草寺の山門の一つです。 もともとは「仁王門」として942年に建立されましたが、1964年に再建され名称が変わりました。
宝蔵門の左右に並び立つは仁王像で、仏教寺院の門に安置される初護身の像です。口を開けた姿で宇宙の始まりや開放を象徴する阿形(あぎょう)と、口を閉じた姿で宇宙の終わりや閉鎖を象徴する吽形(うんぎょう)からなります。
宝蔵門裏にかけられている大きなわらじは、山形県村山市の奉賛会により奉納されたもので、魔除けの効果もあるようです。
宝蔵門の大提灯裏には龍の彫刻があります。
五重塔






日本の各地には多くの五重塔があります。奈良の法隆寺や興福寺、京都の東寺や醍醐寺、山形の羽黒山(はぐろさん)などなど
そんな五重塔とは?
- 仏教寺院の一部で、形状や構造は、仏教の宇宙観を表現しています。
- 仏教における五大元素である地、水、火、風、空を表わし、宇宙の基本要素を意味し、塔の角層がそれぞれの元素を象徴しています。
- 仏教寺院の中心的な建造物であり、参拝者が祈りを捧げる場所です。
- 釈迦の遺体や遺骨を安置する場所で、天と地を結び、亡き人が通ずるところを意味します。
浅草寺本堂(せんそうじほんどう)









浅草寺本殿は別名観音堂(かんのんどう)といいます。多くの参拝者が列を作ります。



手水舎(てみずしゃ)には沙伽羅竜王像(しゃがらりゅうおう)が設置されているよ。天井の墨絵の龍も迫力があってすごいね!
浅草寺周辺






浅草西参道商店街
日中だと多くの人で行き交う商店街も、夜になると静まり返り独特の雰囲気を出します。
床にも歌舞伎もワンシーンが描かれており、見る人を飽きさせない工夫が素晴らしいですね。






夜になると提灯にも明かりが灯ります。描かれた妖怪の絵もより一層不気味に感じます。
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